雑記──勇気について考える

 伊坂幸太郎の『モダンタイムス』を読んでいたら、やたらと「勇気」というフレーズが頻出する。最初の一文は 実家に忘れてきました。何を? 勇気を。 で始まるこの『モダンタイムス』は、勇気とは何か、勇気を出す時とはどんなことなのか、それらを問う物語であるのかもしれない。勇気といえば、ジョジョのあの名言が思い出される。ノミが人間に向かっていくのは、勇気ではなくただの無謀、勇気とは、恐怖を知ること! というあれだ。たしかにわたし達が通常勇気という時に想像する漠然としたイメージとしては、恐怖を振り絞って何か行動を起こす時などがあたるだろう。じゃあ、恐怖に反抗すればすべて勇気かといえばそういうことでもないだろう。わたし達は色んな事に恐怖を感じるものである。今日家出たとき鍵を閉めたっけなあ、怖いなあ、と恐怖を抱いて、勇気を振り絞って気がつかなかったことにしよう! としたとして、それが勇気かどうかというとこれがなかなか難しい。そう考えると、真の勇気というものは、まずその前提からして「何に恐怖するのか」を指定しなければならない。どうでもいいことに恐怖を感じて、それに対して気力を振り絞って乗り越えていくのもまた勇気とは言わないからだ。恐怖を感じすぎないことは勇気ではなく、恐怖時感じすぎることもまた勇気ではない、といえるのかもしれない。だとしたら勇気とは、適切な恐怖、不安、などなどの均衡の中にある。その均衡を整え、そこで怖気づかないで前に進めたとき、勇気を出した、というのかな。とか色々考えていた。