6月7日のニュース

雑記

カオスな情報置場 - パクリ疑惑がかかってるラノベ「俺と彼女が魔王と勇者で生徒会長」のパクリ元がどんどん増えているらしい

いやーほんとひどいですよ。読めばわかるとおもいますけど、模倣とか、パロディとかいうレベルではなく、パクリ・盗作といっても100人中100人は納得するレベル。しかし、これを単なる悪意丸出しのパクリではなく、僕なりにこれを最大限作者に好意的に解釈すると、これはある種の訴えなのではないかという妄想が浮かんできます。つまり「電撃文庫編集部はパクリも見抜けない無能ぞろい」という告発なのです。

似たような例が、学術論文の世界でもあります。その昔物理学者のソーカルという人が、「カルチュアル・スタディーズ」の論集として知られる『ソーシャル・テクスト』誌に論文を発表しました。その内容は何やら難しい造語を大量に使い、多くの文献を参照して作られたものだったのですが、編集委員会はその論文をそのまま載せました。しかしその数週間後、ソーカルは『物理学者がカルチュラル・スタディーズで実験する』という論文を発表して、彼が『ソーシャル・テクスト』誌に投稿した論文がパロディであり、引用した学者達の「無意味な表現」をパクリまくって一つの論文にしたてあげた、何の意味もない論文だと言うわけです。そしてその論文を発表することによって、「おめーら科学用語やらなんやらを、わけのわかんないままに使ってんじゃねーぞ」という批判を行っていたわけですね。

つまり「俺と彼女が魔王と勇者で生徒会長」は、「電撃文庫編集部はパクリも見抜けない無能ぞろい」という告発なのだという最初の結論に辿り着くわけです。というわけで次にファミ通文庫あたりで作者は「ラノベ作家が電撃文庫で実験する」という本を書くに違いありません!(どうでもいいオチだな!) さらにどうでもいいことではありますが、ソーカルの例は半分ぐらい「知性の限界」から文章をパクってます。

知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)

知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)